新月・満月の日にエッセイをお届けします
2015年4月19日新月
「ありがとう」の反対の言葉って何だと思いますか?
東日本大震災から3年経ったある日の学校の給食便りに、冒頭の二行から始まる素敵なメッセージが載っていて、その日からずっと手帳に挟んであります。
続いて、こう書いてありました。
世界中の人々から愛され、そして尊敬されたマザー・テレサは、「ありがとう」の反対の言葉は「あたりまえ」と言ったそうです。
漢字では、「有難う」と書き、「有ることがとても難しい」、つまり貴重で大切だということです。
だから感動し、感謝するのですね。
それが「あたりまえ」だと思ってしまえば、驚きも感謝の気持ちも生まれません。
…中略…
毎日食事ができるのは、はたして「あたりまえ」のことでしょうか。
毎日「あたりまえ」のようにあるものが、じつは「ありがたい」こと、いろいろな人のおかげであること。
一度、身の回りの「あたりまえ」に目を向けてみましょう。
もし、それがなくなってしまったら…。
きっと「ありがたい」と思うはずです。
「ありがとう」と、心から言える人でいてください。
というような内容でした。
そして、井村和清さんの詩を紹介されていました。
『あたりまえ』
こんなすばらしことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
(中略)
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしこと、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
井村さんは、「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という本を書いた人で、お医者さんをしていましたが、32歳という若さで、病気でこの世を去られたそうです。
新月である今日、私にとっての、あたりまえのように身近ではありながらも、有り難いことについて、ゆっくり考えてみました。
一つ目に思い浮かんだのは、やはり子どもの存在。
笑顔で心身共に健康でいてくれることが、どれだけ有り難いことなのかを。。
二つ目は、家族や友人や、近くで支えてくれている人たちのこと。
そして、三つ目に浮かんだのはヨガのある今の生活でした。
私は明後日21日に、36回目のお誕生日を迎えますが、11年前のお誕生日に、大叔父である沖正弘氏の書籍を贈ってもらったことがきっかけで、ヨガの道を目指すことになりました。
36年という人生の中でヨガのある生活は、まだたったの11年ですが、子育てとはまた別のフィールドで、私の人生の大きな支えになってきました。
子どもと一緒に、「ありがたい」という気持ちを大切に、生き方としてのヨガができたら…と思っています。
皆さんにとっての、「ありがたい」は何ですか?
そんなことを、ふと考えてみる新月の夜があっても素敵ですよね(o˘◡˘o) .。.:*☆